自分を存在させる日々

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過去に父親とのエピソードを記事にしたことがある。

サッカーを始めて、18年目。…のここ2年くらいからようやく、まともにサッカーについて話ができる様になった。といっても自分が理想とする父との関係にはまだ遠い。

サッカーにおいても私生活においても、褒められた記憶なんかほとんどなく、サッカーにおいては全くといって良いほど。唯一の自分の生きがいだったサッカーに対して、心から憎む時だってあったはず。考えやすいでしょ?今まで自分はサッカーが生きがいだったのに、それを否定され、自分自身を壊されたら、生きる意味も生きる場所も無くなるんです。壊されることも自ら壊すことも簡単やなっと身をもって感じてきました。

誰かのために、好きなことに対しての生きがいを持っている人なら、それを奪われるとどうなります?

察してください。

去年、サッカーの進路で大挫折を経験した自分は、本気で夢を失いました。いや失ってはないけど、見失いました。また夢も自分も探す作業からやなっと開き直るしか自分を保つ方法が自分には無かったなと振り返って感じます。

地元に帰ってきて、10ヶ月が経ち、両親や友人に支えられなんとか探しまくり、結果を出さなければいけない時期が迫ってきている気がしています。

父親と、何回も言い合いをし、その度に母にも飛び火がいき、父にも母にも大迷惑をかけました。現段階的に言い合える程の関係まで自分はなんとかこれました。

ある時、父と大喧嘩をし、自分が出て行かないといけないのに、父が3日間ほど家を出て行きました。その間にたくさんの事を考える時間ができたし、同時に本気で病みました。

自分が実家にいることで、両親は自分をきっかけに揉めてたし、リビングにいても、常に気を張り、気を使い続ける日々に耐えきれず、部屋に篭りっきりの自分でした。

父親が帰ってきて、2人きりで話、父の父親の話や小さい頃の話を聞きく。父が自分を想ってくれているのは昔からずっと身に染みるほど分かってはいたものの、今まで父の本音を聞くことは一切ありませんでした。その時に本音や思いを聞き、自分も本音で話せました。

父は自分の夢を応援していたんやっと。でも間違いだった。お前自身を大切にせずお前の夢を応援していた。今後はお前自身を応援するって。

そう言われた時、父の今までの言動らに納得と、心が軽くなったんです。

自分は無意識に、父の言うことを感じ、自分を応援してくれる父ではなく、自分の夢を応援してくれる父に、その期待に応えようと毎日必死でした。不器用な自分は、すれ違うことも多々で、苦戦と落ち込む日々の悪循環。

今までにない、最高のメンタリティの中での生活に生きがいと野望が湧き上がりました。

なんでもできる気にもなりました。怖いものなんかなくなりました。

そんなこんなで、現在1月。

また似たような自分の心境状況と不安と焦り、恐怖に日々戦っている今。

人間どうすれば強くなれるのか。

自分の生きている存在価値に、証拠を追う今日。

トレーニングしながら、良くない景色が頭に走る。

成功に30%のストレスが必要らしいし、その意味も身をもって理解できる。今日のランニングなんか、8割がストレスだった。ま、達成感はあったけどね。

俺が生きる意味と存在価値は何か。

前世があるなら、何をしてどう死んだのか。なぜ今生きていることを不意に不思議に感じるのか。

えっぐい強い、男前な男になろう。やから俺はこんな発信も恐れない。

今日を全力で生きた。

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