過去に自分が書いた記事を再度掲載します。
あえて校閲も訂正もせずに☺︎
そんな人になると断言した上で、お話しします。
人の失敗蜜の味、人の成功嫉妬の種、なんて言葉はありませんが、人間誰もが人の失敗を心のどこかで喜び、人の成功を嫉妬することがあるもの。数日前、嫉妬関連の記事を書きましたが、見ていただけましたか?笑
その都度、なんて自分はちっぽけな人間なんやと気づければ良いのですが、蜜の味に我を忘れ、嫉妬が心を占領し、悪魔が自分を悪魔だと忘れてしまうような状況に陥ってしまうようなことだってあります。そんな経験ありませんか?
素直に喜ぶ心を邪魔しているものはなんやろって、考えますよね。自分なりのありそうなシチュエーションで例を挙げますね。
自分が成功したいと努力しているのに、先起こされたからか?一等賞になった人を同じレースに出ていた人が嫉妬しているようなもんで、単に順位を気にしているだけです。もちろん、負けることは悔しいし、1番が良いのは当たり前です。この例から言えば、何着になろうと、自分は自分のゴールに向かって走ればいいと腹をくくれば良い。そんなもんです。目指すものはどこか、それが人と同じなら良いんです。さらに上を目指している途中段階なら気にしないで良い。そう言い聞かせるようにしています。まだ自分、ボロは出るもんですが(笑)
自分1人が成功して注目を集めたいのに、別の成功者が出てしまうことで、注目が分散してしまうから?これは、親の愛情が一心に注がれていた一人っ子に、妹弟が生まれて愛が独り占めできなくなったとわがままになる子供と一緒です。親の愛情や人の注目は、分散する細胞のようなものやと考えています。自分はまだ親を経験できる立場ではありませんので、調子乗ったことは言えませんが。
対象が二つになったからといって、それで愛情や注目度が半分になることはそうありません。自分の両親を見て、そう感じます。単純に幸せです。
成功した人が、自分よりいい暮らしするから?例えば、学生時代の仲間が成功を収めた場合で話します。お互いが違う道を進んでいるため、相手の成功なんて、利害関係のない自分には影響はありません。それを前提に、それでも羨ましいが先にくるなら困った展開です(笑)
懲りもせず他人と比べることで、素直に喜べないのは当たり前に近いです。他人と比べることでしか、自分の立ち位置を確認することができないのであれば、何を見ても聞いても自己判断は難しくなります。他人と比べない生き方を意識してみて下さい。自分が最中です。
人と比べるてしまう瞬間に自らの力で気づけることで、より良い成果がついてくると信じています。それがきっかけになり、人の成功を心から喜ぶことができるようになります。そう自分もなります。
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