幸せはあるものではなく、認めるもの。

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 過去の記事を再度掲載させていただきます。

 人間自分のことは分からぬもの。昨日楽しんでいたことが今日は悲しみに変わり、朝に喜んでいたことを夕べに悔しがります。去年笑ったことを今年は袖を濡らして泣いていたり。何がしたくて、何をするべきか、どうしたら良いのか、どうするべきか、あっちでぶつかり、こっちでつまずき、自分はナニモノかと自分探しの日々と人生かなと、探しまくってる自分です。

身の回りと、自分自身にベクトルを向けてみてください。気分がウキウキして周りが見えなくなる。落ち込みから「どうせ」と呟き周りの情報をシャットアウトする。他人だけでなく自分の事さえ恨み、自分を誤魔化し心にトゲを生やす。他人を攻撃しては、嫉妬して己を忘れ、物惜しみして物欲の鬼となり、人をたぶらかす。自身の足元さえ見えない状況に陥る。そんな人間も少なくないのかなと。

 幸せを感じるタイミングや方法などは人それぞれで、基準も自分が主軸として考えた結果。幸せが当たり前に染み付いても良くないです。傍から見れば幸せなのに、それに気づいてない自分。自分は幸せな状況下にありながら、欲に溢れ溺れ、欲張る。それこそが自己中なのでは。その環境下が当たり前ではなく、その環境下に感謝する心。それら以上のお返しの気持ちが大切になるなと。その一連が幸せを認める事なのかなと。幸せの一方通行か幸せの交流かの違い。

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