「比べて喜ぶと人を傷つけて、比べて悲しむと自分を失う」

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 過去の記事をあえて掘り起こし、再度掲載させていただきます。

 人間何かと比べがちです。その対象が【人】だと厄介やなと。比べる要因なんてたくさんあります。仕事 /恋愛 /スポーツ /頭脳 /言動や行動などでしょうか。自分は比べられることが大嫌いです。と言いつつも、自分のモチベーションの上げ方一つに、先行く人を見据え、そして自分と比較することも事実にあります。矛盾です。自分は比べることをしてしまうのに、他から比べられることは嫌な、自己中野郎なのかなっと言う疑問が今日の記事を書こうと決めたきっかけです。前提に、自分は良い方向に動く比較ということで、対象が少し違うのかなと。

比べると言っても、悪い影響だけではありません。もちろん良い比較はあります。今回は、身近に感じやすい視点から考えてみます。

話を戻します。

 比べることで変化してしまう価値は、心が穏やかになるためには百害あって一利なしだと考えます。人間ありがちなのが、自分と相手を天秤にかけ、自分の方が重ければ安心し、安心で終われば良いものをバカにする行為までがセットみたいな。相手が重ければ媚びへつらうような態度。こんな人にはなりたくない、がどちらにも転びます。言ってることとやっていることが違う人間なんか大勢います。自分はそうはなりたくないから有言実行することに毎日必死です。恥ずかしながら、できていない時もあります。これはその人ら【人】と比較しているように見えますが、人ではなく【行動】に視点を当てています。

喜んでいる人を見てその比較相手が自分なら心穏やかではいられません。腹が立ち、怒りたくなります。この行為が人を傷つけることなのかなと。逆に、誰かと比べて悲しんでいる場合、その悲しみは、“自分の悲しみ“として独立したものではないので、自分を失っている状態なのかなと。

よくありがちな比較の対象である○○さんより〜…を削除して考えるようにしてみて下さい。“人“を対象にするのではなく、“行為“だけを自分の心の錆止めにしてみて下さい。「あの人に比べれば」をやめ、比較対象者の行為に注目し、自分が行動に移すことで、人を傷つけることは少なくなるのかなと。

人を軽蔑するのではなく、その人が“やっていること“をしない自分ってだけで良いんです。

人に興味を持たないこととは違います。「自分で精一杯」で終わらせることは人を傷つけるきっかけになり得ます。自分を守ることは人を想うことからなのかなと、自分に足りない部分が課題に出てきました。

それが『人の振りを見て、我が振り直せ』と言うことなのかなと。

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